おっちゃんの徒然なるままに

おっちゃんがお送りするとても私的で適当なブログ

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funny story

運命のバット

アンタッブル・レコード、その名のとおり難しいどころか不可能に近い記録というものが世界には存在する。
それは2004年のアメリカメジャーリーグにてイチローが破った安打記録もまさにそれだった・・。

シーズン安打257本、1920年ジョージ・シスラーが記録してから85年間も誰もその記録にかすりもすらしないほどに存在し続けまさにアンタッチャブル・レコードであった。

しかし、実はこの記録はアメリカであまり有名ではなくジョージ・シスラーの名前もイチローが記録に近づいたときに知ったという人が多いくらいであった。

シスラー自身、メジャーリーグの中でも優れたバッターであったが当時には野球を知らない人でも知っているホームランの代名詞ベーブルースなどがいた事もありホームラン全盛の時代でテクニカルな選手は少なからず軽んじられていた。そしてホームラン全盛の時代はシスラー引退後も続き、最多安打の記録もその波に埋もれていったのである。

しかし、イチローが最多安打の記録に近づき更新した事もありシスラーにも注目が集まり評価を改められるようになった。そしてイチローは「本塁打の魅力から我々の目を解き放ち、打撃の芸術性に気づかせてくれた。」と野球関係者に言われるほどであった。

シスラーとイチローこの二人の選手を比べてみると面白い共通点がある。

もちろん二人ともヒットを打つ事が得意なバッターではあるのだがそこではなくシスラーの死去した年とイチローが生まれた年が同じなのである。

ジョージシスラーが3月26日に死去し、その半年後の10月22日に生まれている。もしかすればシスラーは死去した3月から10月のシーズン期間中までメジャーリーグを観戦してから生まれ変わってイチローになりホームラン全盛のみんなの目を覚まさせたと思うとちょっとばかり奇妙な話でしょ?




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おっちゃんの若いころの日記

今回は、おっちゃんの若いころの日記を暴露!いやー読んでみると恥ずかしいというか何というか、変わってないというかなんとやら。

今読んでも青臭いなぁと思い、まるで他人が書いたような錯覚に陥る反面、今でも共感できる部分があり、人間って成長してるのかしてないのか、何かいつも、こんな感じで生きてるなぁって思います。

本当に理想の自分ってやつは、どんどんと前に行くから中々、追いつかないし永久にこんな感じなのかなぁとも思ったりします。まだまだ7年経っても遠いですね・・。

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「空の暁は遠く」

力のなさを知り

心の弱さを知り

打ちひしがれる暇もなく

時間は過ぎ去ってゆく

一歩あゆむのに十の苦痛に耐え

それでも心は歩みを止めず

唯それだけを信じるしかないと思った一年

心の暁は未だ遠い空にあるのか・・。


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青臭いのは、仕方ないです何たって◯◯歳の時のやつですからそこら辺のツッコミはなしです。
結構コレでも真面目な青年だったんですよ、今はおちゃらけてますがね、いやそこも今と変わらないか(笑)


コトバ

言葉が生きていくにつれて足りなくなってきた。

年齢を重ねるごとに自分のイメージの輪郭がハッキリすればするほどにそのイメージに対する言葉がないことに気がつく。

口だけは達者なつもりでも、人に何かを伝えようとしたりする時に肝心な言葉が出てこない。

そしてそのイメージに近い言葉を使い置き換えるが、どうもイメージ劣化してしまい心の中にしこりが残る。

使う言葉をパターン化して取り出すのは至極簡単なことであるがそれでは言葉は死んでいるのであろう。

言葉とは相手に物事を伝える事も大切だが、それ以前に自分のイメージを自分で言葉に出来なくてはそれすらもままらないような気がする。

もっと言葉を知る必要があるようにも感じるが既存の言葉では表せないようにも思う。

特に感情を伝える言葉は極めて難しい、それは自分の感情が解っていないからなのか、言葉がないのかそれすらも曖昧だからだ。

それでも、人は何かを誰かに伝える為には言葉が一番必要になってくる。

いつになったら言葉は僕のいう事を聞いてくれるのだろうか。




水と器

器1つに水を入れその器が一杯になった時どうするか?普通、新しい大きな器に水を移し変えさらに水を溜める。
しかしこの時困った事に器一杯に入れた水を移し変える時に水が少しこぼれてしまう。

まぁ、これが生活レベルの話であれば大した事ではないのであるが人間レベルの話だと少し困った事である。
人もしばしば器に例えられ器量の大きい小さいなどと例えられたりするがそれは客観的なことであり、今回は主観的な器の話

人は歳を重ねるにつれ心を培っていくわけでその心とは自分の考え方であり精神力であり信念、プライドでもあったりする。しかし培っていく中でどうしても水が一杯になってしまう時がある。

簡単に考えると少しくらい水がこぼれても新しい大きな器にすればいいのだが、しかし人は生活レベルとは違いそこで人は今まで培ってきたものを失いたくはないのである。

今まで溜めて生活してきた溜めた心の水がこぼれるのはやはり愛着があり惜しいこともあるし、こぼれれば悲しい事もある。

そういう事もあるので一概に器を変えないという選択肢でも、それはあながち間違いではないとは思う。

しかし新しい水を入れれなくなるということは、もう何かそこでその部分の成長が止まる気がする・・。

ボクは結構器を変えるタイプの人間なので様々な事で水がこぼれたり、新しく用意した器が前の器より小さかったとか、なかなか苦労してきたが、未だに小さいなりにも苦労したり悩んだ分、昔より水を溜めれる器になってる気がする。

そしてこれからもそれは止めることはない。

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